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【あの人と、まちと、珈琲と】Vol.1
「川崎はコラボレーションの街」三浦淳・元川崎市副市長が語る、想いを形にする原動力

珈琲の香りでよみがえる淡い記憶。何気なく仕事の合間に飲むときも、喫茶店でくつろぎながら飲むときも、あの人にとっては特別な瞬間だったのかも。新連載『あの人と、まちと、珈琲と』では、珈琲にまつわる想い出を口火に、地域で「つながり」を大切に活動されている方々の想いを深掘りしていきます。

記念すべき第1回は、元川崎市副市長・三浦淳さん(現・川崎市産業振興財団理事長)にお話を伺いました。

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1952年川崎市生まれ。1975年横浜国立大学を卒業し、川崎市役所に入所。予算や街づくり政策を担当し、総合企画局長に就任。2010年には副市長に就任し、経済・環境・福祉行政等を担当。臨海部国際戦略特区の整備や武蔵小杉の再開発等に携わる。2018年から川崎市産業振興財団の理事長。

珈琲はコミュニケーションのきっかけ

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三浦:珈琲はもちろん好きです。味や種類は詳しくないけど、毎日飲んでますからね。市役所にいた時は、毎日、川崎駅前の某カフェチェーンに行ってたね。局長の頃までは仕事前の朝7時くらいに行ってたけど、副市長になってからは、秘書から「秘書よりも早く来ないでくれ」と言われちゃって()

でも、そうしているとカフェのスタッフの皆さんとも仲良くなる。毎日一回会うからね。

――(編集部)珈琲がコミュニケーションのツールになっているんですね。

三浦:今でも、そのスタッフの子たちとは仲良くしてるよ。当時はちょうど大学生くらいだったから、就職相談なんかもやったね。その中には、人気大手企業の狭き門を突破された方もおられました

――(編集部)完全に、店員さんとお客さんという関係を超えてますね。

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三浦:私自身、人に対して興味とか好奇心があって。だから、みんな面白いね。一人ひとり想いっていうのがあるわけじゃないですか。そのきっかけで、珈琲もあるのかなという感じがします。

川崎の街づくりはコラボレーションが原点

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三浦:川崎ってね、日本で最初にペルー料理店ができた街なんですよ。日本の経済成長で人手が足りない時代、外国人に来てもらうのはハードルが高いけど、日系人ならいいよねっていう感覚が当時あった。結果として、工業地帯の川崎に日系人をはじめとして色んな国の人が集まって来たんです。

私の両親は新潟なんですけど、戦後復興する時に川崎に出てきた。だから川崎は、東北や関西や北海道、他の色々な地域や国々から集まってきた街なんです。

――(編集部)川崎は多様性の街なんですね。

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三浦:例えば、東京だとか仙台、名古屋や大阪だったら、そこにお城があったわけですよ。成り立ちはお城を中心としたヒエラルキー型。川崎っていうのはそうじゃなくて、みんな集まってきて成り立っているんです。だから、祖父から3代続いて川崎なんて人は少ないですね。

――(編集部)副市長として、川崎の街づくりをされている中でこだわっていたことはありますか?

三浦:私が市役所に入った頃(1975年)は、「東京はすごいよね、横浜もすごいよね、でも間に入っている川崎ってダメだよね」というのが多かった。でも、そうじゃなくて、やっぱりそれぞれ東京も凄いし横浜も凄いし、川崎っていうのは川崎の特徴と強みがあるよね。

例えば、川崎に集まった多様な人たちと連携、コラボレーションをしていく。そして地域の魅力を作っていけるのは、川崎の凄さだと思いますね。

歴史を振り返れば、1923年の関東大震災、1945年の川崎大空襲、高度経済成長期の公害問題や昨今の人権問題など、非常に課題はあるけど、その度に多様性や技術力を活かして乗り越えてきた。川崎っていうのは、ずっとチャレンジをしてきた街なんです。

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だから市役所に入った時、みんなは「川崎はダメだよね」って言うんで、「いいや、川崎には良いところがあるんです」と言い続けたね。

――(編集部)行政マンとして、多様なコラボレーションに取り組まれる中で、大切にしていたことはありますか?

三浦:本来、誰でも自分の地域は基本的には好きなわけです。だから、どんな地域の出身でもそれぞれお互いに理解するというのがまず基本。そして、今は少子高齢化社会で地方は都市機能の維持自体も難しいよね。だからこそ、自分の地域だけが元気だったら良いという時代じゃない。

地方でも東京でも世界でも、相互に連携してやっていく。お互いにワンサイドじゃなくて、相互にウィンウィンになるような関係、これを大切にしています。

「川崎×宮崎で時代の一歩先へ」当時異例の木材政策を展開

三浦:副市長時代、思い出に残っているのは木材利用の政策ですね。

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――(編集部)川崎で、木材ですか?

三浦:川崎は環境の街だからね。公害を乗り越えた街だから。木材利用はまさに環境政策であり産業政策なんですよ。

元々は、太田猛彦さんの『森林飽和』っていう本を読んで林業に興味をもって。そこから、日本一のスギの生産県である宮崎県との連携に取り組みました。宮崎で消費できない分を、川崎市のような消費地に持ってきて使う。そして、相互に街づくりや産業の交流を活性化していく。これを川崎の「崎」と宮崎の「崎」を取って、「崎・崎モデル」と名付けました。

いま、川崎市役所の市長室や武蔵小杉にある小杉小学校など、川崎市内の公共建築物には宮崎の木材が使用されているものが増えていますよ。

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――(編集部)連携する際にご苦労された点はありますか?

三浦:これをやった当時、役所は「また三浦さんが何か言ってるよ・・・」という感じでね。当時、そもそも県と政令市の連携なんかないんですよ。政令市は政令市、県は県、市区町村は市区町村。でも、そうじゃないよね。県と政令市でも必要であれば連携していく。これを初めて取り組んだんです。

日本は国の省庁があって、47都道府県があってそこに1724市区町村がある。このヒエラルキー型の体制は、成果を生み出した時代もあったんです。でも、今はそういう上からじゃなくて、それぞれ地域の中に特性や強みがある。そこが繋がっていくネットワーク型っていうのかな。ヒエラルキー型からネットワーク型への転換。そういうものを木材でやりましたね。

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そのためには、やっぱり人なんですよ。人が繋がっていくっていうかね。事業者や市民、様々な人たちに想いを馳せることが大事なんじゃないかな。

三浦さんの原動力とは

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――(編集部)お話を伺っていると、三浦さんの川崎への想いの強さと行動力に驚かされます。何がその原動力となっているのでしょうか?

三浦:色んなところに対する好奇心っていうかね。「なぜ?」っていうところを考えると本当に面白いなって思いますよ。今は産業振興財団の理事長として、川崎の色んな凄い方々と関われるのがワクワクしますね。

例えば、川崎にはGAKUちゃんっていう自閉症を持ったアーティストがいるんですけどね。川崎にたまたま住んでいて、岡本太郎の美術館に行ったのね。そしたら、彼が18歳の時「僕絵を描く」って絵を描き始めて。それが今年は某ブランドとコラボするまでになっているとか。

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あとは、障害のあるアーティストを支援している「スタジオフラット」は、作品にしっかり値段をつけて展示してるんだよね。障害のある方も、ただ単に全部面倒見てもらうんじゃなくて自分たちの能力をちゃんと発揮をしてる。「スタジオフラット」も、カフェとコラボしてタンブラーを作ったりしてるんです。

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NPO法人studioFLAT

そんな彼ら一人ひとりが、どういう人かなっていうことも含めて興味がありますね。そうやってると、どんどん繋がりが増えていくんです。今日のRR COFFEEさんとのご縁みたいにね()

――(編集部)面白いですね。絵も非常に独創的で惹かれます。RR COFFEEも、ぜひコラボさせていただきたいと思いました。

三浦:やっぱり、コラボって大事だと思いますね。様々なコラボレーションも含めて、RR COFFEEが時代の価値を作れるか。その価値が共感を得てマーケットに支持されるか。殿町の「キングスカイフロント」や新川崎の「創造のもり」といった、川崎の最先端産業が集まるエリアに珈琲屋台を出店してみても面白いかもしれない。

こういうことを日々考えているんです。

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◆インタビュー・文
和合大樹 Wago Taiki・RR COFFEEつながりコーディネーター
1999年川崎市中原区生まれ。明治大学文学部在学中、コロナ禍をきっかけにしてローカルメディア『なかはらPR』を開設。卒業後は、メディア運営・広報物制作などをメインに活動。川崎市が発行する『市政だより202111月号中原区版』の企画編集・取材・記事執筆を担当するなど、「POPに伝える」をモットーに幅広い分野で広報に従事。その他、地域コミュニティの立ち上げや地元のイベント運営などに携わり、地域密着で活動中。
【所属】かわさき若者会議、(一社)川崎青年会議所、中原消防団玉川分団、川崎市環境審議会(任期2年)、Yahoo! JAPANクリエイターズプログラム など

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