被災後の「いま」を知る
昨年・一昨年の旅でもお世話になったラフティング会社 Reborn代表の溝口さん。 今年の旅でも、私たちにたくさんの「いま」を教えてくれた。
2020年の豪雨被害後の坂本町・球磨村(※)の様子を、フィールドワーク形式で案内いただいた。 4年経った今でも、至る所に被害の爪痕が残っていた。
※球磨村:熊本県南部、「球磨川」中流部に位置する地域。(「球磨川」は、最上川・富士川と並ぶ日本三大急流のひとつとして数えられ、日本二十五勝にも選定されている。)
フィールドワークでは、まさしく自身の目で耳で肌で「現場」を知った。
テレビニュースやインターネットでは「結果」としての惨状の情報は入ってくるが、その渦中の人がどんな想いで日々を過ごしているのかという「過程」は、現地へ行かないと絶対に理解ができないと思った。
▼豪雨で被災した坂本駅(現存する駅舎は明治時代に建てられたもの)
かつてはJR肥薩線が乗り入れていた坂本駅。
JR肥薩線は、線路内へ流れ込んだ土砂や氾濫した川の濁流に呑まれた鉄橋の崩壊などにより、復旧に相当な時間が見込まれている。
▼駅舎内に入ると、流れ込んだ土砂や濁流の跡があった
▼かなりの高さまで濁流が押し寄せてきたことがわかる(赤いテープで示された部分まで水没)
▼氾濫した球磨川の勢いで流失した鉄橋
▼森林整備(林道工事)の影響もあり、豪雨の際に上流部分の谷全体がごっそり落ちてしまった。結果、土木石流が出たという痛々しい災害の跡を見た。
今回のフィールドワークでは、ダム撤去後の地も案内していただいた。
「”造る”を目的にした事業開発を進行させる仕組みは整っているが、造ったものを撤去した後の、豊かな自然に戻していくための仕組みが不十分」と、溝口さんは指摘する。
加えて、球磨川流域の未来をより良きものにしていくための「ネイチャーポジティブ」の思考を持つ重要さを教えていただいた。
お話しを伺えば伺うほど、行政と住民が足並みを揃えて未来を見据えることの難しさ、また住民への合意形成の進め方など、地域が抱える複雑な問題が見えてきた。
地域はだれか特定の少数者の所有物ではない。
しっかりと復興やまちづくりを進めるには、現地在住で、地元の意見を余さず集約・束ねることのできる存在と、行政(こちらも国・県・市それぞれかつ各部門・部署と多岐に渡るが)とよりよい未来に向けてオープンに話し合える場が必要だと感じた。
▼荒瀬ダム撤去前はダム湖だったところから復活した公園。設計はダム湖時代のまま。元々は清流だった場所。自然をどの状態まで戻すのか、そしてどう生かすのか、思想が問われる。
このワークの中で、避難所での食事を再現した非常食・備蓄食のお昼をいただいた。
レンジもガスも使えない、お湯を沸かせない状況。
限られた物資。
同じ避難所にいる人たちの人数。
アレルギーの有無。
幅広い年代層の中で、特に栄養が必要な人は誰か。
自分自身も先の見えない避難所生活を想定した物資選び(タンパク質の摂取など)が求められる。
そんな様々な要素を考えながら、「誰に」、「どの物資」がゆくよう配分するのか。
「公平性」を考慮しながらどう分け合うのか。
これが毎食続くのか。 普段ほとんど考えたことのなかった問いに、頭をフル回転させた。
悩みながらもチームの中でひとつの解を出し、物資を分け合う。
そんな中、溝口さんが一言発した。
「常に遊びを考えることが心の支えだった」
自然の脅威に晒され生死の狭間を体感しながらも、今は前を向きながら地域の再生に取り組む溝口さんの強さがこの一言に詰まっている気がした。
確かに前を向くため、気持ちを気丈に保つため、自分が自分らしくいるため・・
どんな時にも遊びの要素を考えることはとても大切なことなのかもしれない。
常備品ひとつを取っても、例えば・・
- 旅行先でご当地缶詰を買って、ストックしておく
- 輸入雑貨店などで一風変わった缶詰を買ってみる
- お酒のアテになりそうなご褒美缶詰も手にしてみる
・・など、日常の明るいシーンと備蓄物資を紐づけておくと、いざ被災したときも「あの時の旅行で見つけた缶詰だ!楽しかったなあ」などと少しは前向きになれるかもしれない。
悲観ばかりせず、これからのより良い未来の創造を目指し、たゆまぬ歩みを続ける人の背中を見て、私たちRR COFFEE も優しく背中を押してもらったような気持ちになった。