RRチームは珈琲屋台で横須賀港からフェリーに乗り込み、新門司港へ渡った。
軽自動車ベースの、華奢な足元に箱型キッチンを載せた車体は、
大きく風に煽られながら九州縦貫自動車道を南下した。
最初に向かった先は、熊本県・球磨川流域の八代市坂本町。
神奈川から片道30時間超の大移動だ。
無事辿り着いた球磨川は日本三大急流として数えられ、
有数のラフティングスポットもある。
釣り人にとっては、30cmを超える「尺アユ」が狙える、
全国屈指の釣り場でもある。
しかし熊本県内で67名が犠牲となった
「令和2年7月豪雨」(以下、熊本豪雨)の深い爪痕が今も残る。
発災から2年経ってもまだまだ復興途上。
大きく削られた岸壁の道路や、流され崩れた橋脚が、甚大な被害を物語っていた。
多くの河岸は水害で崩れ、現在、コンクリートによる護岸工事が施されている。
現在進行形で、懸命な再建作業が行われている。
被災地中心部には、居住者と復興関係者以外は原則通行不可となっている。
坂本町を拠点にラフティングガイド会社「Reborn」を営みながら、
ダムによる環境への影響を研究する、溝口氏
溝口さんは、今回の熊本遠征における現地キーマンだ。
左に見えるのがRebornの拠点。被災当時は2階まで浸水。
3階に避難していた溝口さんご家族は自衛隊ヘリで救助された。
自らも被災者である溝口さんは、被災旧家の古材を、
持ち主の許可を得て、活用先が見つかるまで預かるという活動を始めた。
そのままでは災害廃棄物(可燃ごみ)として捨てられてしまう。
それが、どうしても耐えられなかったのだ。
Rebornには活用先を探している古材がたくさん保管されている。
毛筆で「明治参拾四年」と書かれたものもあった。
RR屋台の開発リーダー杉谷は、釣り人として坂本町を訪れた。
しかし当時はまだ発災直後。
釣りどころではない、大変な状況を目の当たりにした。
が、溝口さんにとって杉谷の訪問は、かえって嬉しかったのだという。
かつて釣り人で賑わった坂本の日常を思い出させてくれたのだ。
そんな二人が出会い、互いの活動と思いを語り合う中で
被災家屋の古材を珈琲屋台に活用するというアイデアが生まれた。
静かに、しかし着実にそのアイデアは具現化されていった。
そして約一年後、珈琲屋台2号車(愛称:熊吉)は完成した。
熊吉の内装・外装には、被災古材が随所に活用されている。
旧家の床の間や様々な箇所で使われていた、とても質の良く硬い木材は、
ショーケースやテーブルカウンターに生まれ変わった。
引き出しはそのまま活用できるようにしつらえた。
収納スペースの戸板はキッチン背面の棚として、
ブリキ缶や籠は軽食用のディスプレイに。
これらはすべて、坂本町の暮らしを何十年も見守ってきたものたち。
職人による質の良いものだからなのか、珈琲屋台という新たな舞台にあっても、すっと馴染んでいる。
さあ、明日に向けて試運転。
RR熊本遠征チームを紹介しよう。
屋台スタッフを統括する頼れるリーダー、あだっちゃん。
遠征中も筋トレを欠かさない、鉄人アスリートしおっち。
ちょっぴりシャイだがピュアで優しい、チカちゃん
某一発屋似のストリートピアニスト兼ITエンジニア、カノッチ
祖先の源流はここ熊本。気配り調整力おばけの、RR全体統括みのっち
旅人兼カメラマン兼オンラインストア開発運営、ありむー
<坂本町・坂本中学校>
そんな坂本の思い出を積んだ珈琲屋台2号車は、八代市立坂本中学校でお披露目となった。
雨が降り出した。
中国では、初日の雨はその後の恵みをもたらすものとして大そう縁起が良いそうだ。
地域の復興イベント『みんなdeさかもとcafe』に参加させていただいた。
賑やかな体育館では、サンドアート制作のワークショップや、高校生ブラスバンドの演奏などイベント盛り沢山。
お子さんからお年寄りまで、さながら地域大集合。
RR COFFEE初めての試み、ふるまいコーヒーは大盛況!
ドリップが追いつかず、お待たせしてしまうことも。
<坂本町・復興商店街>
翌日は『さかもと復興商店街』にて。
家屋と同様に熊本豪雨で被災した商店を、仮設店舗で再建した地域の生活拠点だ。
淹れたてのふるまいコーヒーを飲んでくれた方が、ご近所さんを呼びに行ってくれたりもした。
青空茶話会。
<球磨村・球磨村総合運動公園(さくらドーム前)>
ここでは、数十世帯が生活されていた。区画内には郵便局や美容院などもあった。
子ども達はスクールバスに乗って、被災を免れた学校へ集団登下校していた。
球磨村地域支え合いセンターのご協力で、私たちの訪問は事前周知されていた。
そのおかげで、屋台を開いてすぐに沢山の方々が集まってくれた。
この日から、サントリー本気野菜のトマトカー(愛称:トマ吉)も合流。
地元熊本・八代でとれた『純あま』トマトと、特製トマトジュースをふるまわせていただいた。
コーヒーを飲みながら、たくさんの話をして頂いた。
熊本豪雨から2年が経った上に、コロナ禍が重なったことで、外部からの支援や注目が減ってきているそうだ。
仮設住宅の若い世代は他地域に生活再建し、徐々に転居していく。
地区内の交流イベントも企画されたが、コロナ禍で実現できなかったものも多いという。
今もここで生活している方たちは、この状況に寂しさを感じている。
被災当時の様子を話す表情は穏やかではあるが、本当の辛さは当事者しか分からない。
ご自身も被災した溝口さん曰く、「命が無事だったなら、あとは失って一番つらいものは思い出」。
だからこそ、被災家屋の一部でも、そこに詰まった記憶とともに残していきたいという強い想いがある。
よそ者である屋台をきっかけに久々に顔を合わし、話が弾む人たち。
「ばかうまかー」と言って、コーヒーとおしゃべりをおかわりにくる人。
そんな、つながりのきっかけを少しでもお手伝いできたのなら嬉しい。
そうしているうちに帰ってきたスクールバスから、
元気弾ける子どもたちが飛び出してきた。
温かい充実感を携え、明日に向けた振り返り会議だ。
その前に、コインランドリーで身支度。
<球磨村大王原公園>
やはり仮設住宅の抱える悩みは似ている。
他地域に生活再建の目途がたち、空き家の増えていく様子は、もちろん嬉しいことではある。
けれど、仮設住宅に残る人は寂しさをつのらせる。
ご自身の部屋から珈琲屋台までの数十メートルを歩くことも難しい方もいると知った。
それからは地区内を歩き回り、お声がけをして、出来立てコーヒーの出前をしていった。
「関東から遠くて大変なのに、ありがとうねぇ」
なんて言われるけれど、被災地の皆さんの方が比較にならないほど大変なのにな。
どこでも元気な子ども達は、皆の気分を明るく照らす。
公園で走り回る子らに、まんまと水鉄砲攻撃を仕掛けられた。
<人吉市・前村町内会館>
連日、テレビ局・新聞社さんに取材いただいた。
被災から時が経っても、遠くから気にかける人がいる。
それが伝わるだけでも意味があるのだと思う。
<人吉市・村山公園>
この日は、立て続けに3箇所へお邪魔した。
私たちの到着を待ち、手を振って迎えてくださる方もいて、胸が熱くなった。
同情するのではなく、同じ目線で話を聞いてくれることが嬉しいのだと、後で溝口さんが教えてくれた。
<人吉市・西間上第一>
携帯電話の調子が悪いの、と相談にきたおばあちゃん。
屋台の周りに、会話が広がる。
先々で様々な差し入れをいただいてしまった。
温かいうちが絶対うまい甘酒饅頭。
焼きたてほくほくの手作りパン
大きくて新鮮なお野菜
愛情こもった、手作りマスク
平成28年熊本地震。
益城町は特に被害が大きく、2日間で震度7を2度も観測した。
神社の崩れた階段や、直角にずれたままの断層はそのままの状態で保存され、
地震の恐ろしさを後世に伝える。
豊かな自然にふれあう子どもたち。
少しずつ日常が戻りつつあるのかもしれない。
元通りに戻すだけでなく、震災前よりもっと良い町にする。
そんな思いをもって、役場と民間が協力して奮闘されている。
<復興まちづくりセンターにじいろ>
震災の記憶をアーカイブする施設だ。
こちらでも、復興応援ふるまい活動を行った。
<BOX PARKマシキラリ>
地域のにぎわいを呼び起こすべく、プレオープン中のところにお邪魔した。
災害復興において、社会インフラの復旧だけでなく、にぎわいの復活もとても大切な要素だ。
まちを蘇らせるには、本当に息の長い活動が求められるということを実感した。
出発前、不安のあったメンバーもいただろう。
「大変な思いをされた被災地の皆さん、どんな話をしたらいいのだろう」
「怒られたりしないかな」
そんな気持ちもあったかもしれない。
しかし熊本で出会った皆さんと話をしたら、そんな心配は的外れだったと分かった。
お互い目を見て、心と心で話ができた、そんな感じがした。
色んなつながりの大切さを痛感し、色んなつながりができる瞬間を目の当たりにした日々だった。
終わってみると、熊本の皆さんと私たちの新しいつながりができていた、そんな旅だった。